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パーカーに浸かって - チャーリー・パーカー

1989年3月、千葉県の市川高校を卒業した。当時の市川高の教育方針に「第3教育」というのがあって、「第1の教育は親、第2の教育は学校、第3の教育は自分がするものだから、自分自身でどんどん学ぶように。」とよく学校で言われたが、卒業するときにその意味がわかった。ほとんど全員が大学に進む進学校なのに、卒業生の約9割が浪人したのだ。学校が受験対策に力を入れていなかったから、誰もが好きなことを一生懸命やって...

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即興演奏の醍醐味 - デューク・エリントン『アット・ニューポート 1956』

高校3年の夏の大会が終わると、スポーツ選手として一番大事な成長期に練習を休む矛盾を感じながら、受験勉強に浸った。インターハイで活躍しながら学業で立教大に入った父の勧めで、スポーツ推薦は狙わずに実力勝負をすることにした。1988年の夏のころだ。学校と週2回の駿台予備校・市ヶ谷校の講義のほかに出かけたくなかったので、息抜きは専らFM放送でジャズを聴くことだった。当時は今よりもジャズの番組が多く、特にN...

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ピアノ・トリオに憧れて - バド・パウエル『ジャズ・ジャイアント』

初めて手にしたピアノ・トリオのアルバムが、バド・パウエルの『ジャズ・ジャイアント』だった。高校2年か3年のときだから、1987年ごろだろう。これも市川学園の図書館で借りたんだと思う。当時は卓球一色の毎日で、夕方までの学校の練習では飽き足らず、夜9時まで開いている松戸の運動公園の卓球場に練習に行ったりしていたから、帰宅するのは夜10時近かった。遅い夕食の後、受験勉強のため机に向かうきっかけとして、ジ...

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ジャズとの出会い - マイルス・デイビス『バグス・グルーブ』

マンガもプラモデルもゲームウォッチも嫌いで野球ばかりやっていた小学5年か6年のころ、母が常盤平の西友でアイワのラジカセを衝動買いして来た。その昭和55年ころの千葉県松戸市は、東京のベッドタウンとして次々に団地が建てられ、高度経済成長を支えた大手企業の戦士たちが所狭しと居を構えていて、武蔵野線もまだない中、小金原団地と常盤平団地と牧の原団地に近い常盤平駅は、今からは想像もつかないほど賑わっていた。そ...

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自伝的音楽ブログを始めました。

 ジャズ・ピアニストのOTAKAです。おすすめの音楽のことなどを詳しく紹介するチャンスが欲しくて、このブログを始めます。最近は、CD屋さんには売れっ子ミュージシャンのアルバムしかないけれど、僕が良いと思う音楽は世界中にたくさんあるのです。そんな、こんなをご紹介したいと思っています。まずは、自己紹介までに、僕自身の最近の作品を。「下総中山'S GREATEST MAN 」「 TOWN 」「 GO! SAITO! 」...

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Profile

OTAKA

Author:OTAKA
オフィシャル・サイト
http://otakajazz.web.fc2.com/

1971年、千葉県松戸市生まれ。市川高、埼玉大卒。

1994年、フジテレビ入社。報道局社会部の記者として『めざましテレビ』、『スピーク』、『スーパーニュース』、『ニュースJAPAN』等に出演。
2000年12月に6年半務めたフジテレビを退社。
2001年、30歳にしてピアノを始め、イタリア人・ジャズ・ピアニスト、ノルベルト・タンブリノに師事。
ニューヨーク、イタリア・プーリア州でジャズ・ピアノを学ぶ。
2004年より都内等でライブ活動をスタートし、これまでに、ファビオ・モルジェラ(trumpet)、ジェイソン・ジャクソン(tromborn)、アーウィン・ホール(alto sax)、レイモンド・マクモーリン(tenor sax)、亀岡友幸(trumpet)、矢野沙織(alto sax)、ケニー藤竹(guitar)、佐久間令(drums)、伊藤暢幸(bass)らと共演したほか、JDアレン(tenor sax)、フランチェスコ・マリエラ(bass)らと演奏した。
2015年現在は、自身のバンド「 JAZZ NINJYA 」のほか、菊田茂伸(bass)とのデュオ、加藤晃司(bass)とのデュオ、小島千奈(vocal)とのデュオなどを中心に活動中。

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